理解しようとしないこと

夫と喧嘩した。

喧嘩した、といっても、向こうが一方的に怒っているだけである。・・・なんて言うと、また怒られるが。

 

きっかけは些細なことだ。

会話の流れで、確認すべき懸念事項があることがわかった。夫は「明日、しかるべきところに電話して○○○と聞いて」と言った。私は、曖昧に返事をしながらその場でネットで調べた。調べ始めた時点で、夫は不機嫌だった。調べるうちに、懸念事項の50%くらいは解決した。私は結果を伝えた。すると夫は、「じゃあ言い方を変える、○○○と聞いて」。私はさらに調べた。すぐに答えはわかった。「なーんだ、○○なんだって。これで全部わかったね」と私は言った。夫は黙り込み、もう寝ると言った。

え、怒ってるの?とびっくりした私は、「なんか怒ってる?ごめん」と言った。それがますます夫に火をつけた。そして夫は静かに言った。「意図を理解しない人だね」。

 

どういうことだろうか。

何がまずかったのだろう。正直、わからない。

電話しろ、と言われた時点で「わかりました明日電話します」と終わらせていればよかったのだろうか? 私が自分の言うことを聞かなかったのが気に入らなかったのだろうか。・・・なぜ?

というか、このご時世ネットで調べればだいたいのことはわかる。夫が「電話して聞け」といった電話先はとても立派なHPをもっており、そこから「よくある質問」をクリックし、私たちと同じ疑問が書かれた質問を探し出せさえすれば、答えはわかるのである。

ネットで調べることが嫌いなのか?

私が、あっさり答えを出したことが嫌いなのか?

調べてる時間がもったいないと思っているのか?

 

「意図を理解しない人だね」

これもよくわからない。何をさしているのか?

とりあえず、その直前に私が言った、「なんか怒ってる?」に対して言ったのだと判断した。明らかに怒ってるとわかるのに「もしかしてだけど、なにか怒ってるのかしら?」みたいな聞き方をしたことに「怒ってるということもわからないの?」的な意味で言ったのかな、と思った。

というのも、私自身「なんか怒ってる?」って言ったあと、しまった!と思ったからだ。明らかに怒ってる人に、「なんか怒ってる?」というのは、火に油を注ぐようなものだ。「なんか怒ってる?」は、「え、なに、なんで怒ってるの(イライラ)」という意味である。

なので、「ごめん、私もちょっとイラっとしたからとぼけたふりした」と返した。すると、「だったら最初からそういうことしないでほしい」と言われた。続いて、「喧嘩を売られてるとしか思えない」。

 

・・・はて。

「そういうこと」って、なんだろうか。ここまで何もかもわからないと、もう笑えてくる。

というか、この一連の流れの中で全面的に私が悪いということになっているのはなぜなのか。私が先に謝ったから?

 

わからないなー。ちょっともう、お手上げです。

 

昔、ある人から聞いた言葉を思い出す。

「結婚生活を続けるコツは、相手を理解しようとしないこと」

 

これを聞いたときは、まだ結婚を自分の身に起こる現実的なものだとは捉えていない年頃だったので、「相手を理解しようとしないなんて、寂しい」と感じたのを覚えている。

しかもこれ、「ある人が言ってたんだけど、結婚生活を続けるコツは相手を理解しようとしないことなんだって! その人バツ2で、今度3回目の結婚をする女性なんだけど〜」という流れで聞いた言葉だ。つまり、この格言(格言なのか?)を発した人のことを、私は知らない。ついでにいうと、私にこの話をした人のことも覚えていない。いや、厳密に言えば覚えてはいるが、その場限りの飲み会(合コンじゃないヨ)で出会った人でありそれ以来会っていない。

なのに、ずっと私の脳みその中に、この言葉は残っていた。

そして夫と喧嘩して、夫が何を考えているんだか理解できず途方にくれているときに、スッと出てきた。

「結婚生活を続けるコツは、相手を理解しようとしないこと」

 

なるほど心理である。

理解不能、なんて簡単に諦めてしまっていいのかなとも思うけれど、理解しようがしまいが、毎日は続いてゆく。共に生活すると決めた相手との毎日は、待ってくれない。

「相手を理解したい」、「あの人のことは私が一番よくわかっている」。理想である。まさに理想。

でも世の中、そんなに甘くないみたいだ。わからないときは、「わからない、けどまあいいか」で終わらせるくらいがきっとちょうどいいのだろう。